合格、さまざまな形

 
f:id:maruold5:20170603112048j:image

前回、「平兼盛壬生忠見の歌合わせ」の様子を記しました。

ご共感いただいた方から「星マーク」を3つも一度にいただき、驚きとともに感謝いたしております。

「歌合わせ」の例は、判官贔屓と言われる方もいるかもしれませんが、私はちがうと思います。

歴史上のライバル同士が覇を争うときには、権謀術数渦巻く「決戦」だけではなく、門地や財力、勢力がそのまま勝敗を決することが多かったでしょう。

言い方をかえるなら、100m走。

体の大きさ、筋力の性質財力などは、「レース」より前にある。

細かい判定は別として、誰が1位か決定するのは、人の気分や贔屓ではありません。

ドーピングのことなど悩ましい問題を現在では看過できませんが、勝負そのものは、たとえ憎い相手が勝とうとも、悔しくても、納得せざるをえない。

しばらくして、心を落ち着けてよく考えると、いつの間にか、その相手に尊敬の念さえわいてくる。

そのような事実は覆しようがありません。

でも、先に記しました「歌合わせ」の結果などは、どう考えてもおかしいとしか言いようがないのです(私は引き分けだと思っています)。

そして、そのような例は歴史をみても、そして自分自身のまわりを見ても、枚挙にいとまがないほどに、あるといえばあるのです。

試験の話をするのであれば、中国の科挙のことなど避けて通れませんが、よく知らない私だって、李白杜甫、蒲松齢のことなど、少しは知っています。

圧巻であったのかどうかは知りませんが、白居易や杜牧の公僕としての姿勢、私事への関わり方は、自分の仕事への態度をときには戒めてくれます。

また、私の身のまわりで起こった出来事。優秀な実習生。頼りにしていた講師の方の裏切り。自殺してしまった後輩。etc.。

そしてコネの話(これは、私が垣間見たことであり、私だけの認識なのかもしれませんが、教員採用試験にコネはありえると思います)。

お伝えしたいストーリーは、たくさんあるのですが、いざ、まとめようとすると、筆が進みません(指がキーボードををたたきません)。また、貧乏暇なしといいましょうか、多忙でもあります。

今回は、羅列的な記述だけで、しかも長くなってしまいましたが、最後に、池波正太郎さんが小説現代読者賞に選ばれたときの受賞の言を記させていただきます。

「読者に選ばれた賞であることが、何よりもうれしい」

蛇足になりますが、池波正太郎さんは、直木賞に何度も候補に上るも、ライバルに先を越され続けたご経験がおありなのです。

この言、かなりの重みがあると思いませんか。