教員採用試験間近です

 

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今年もまた夏がやってきました。

職員室の掲示板に、7月初旬の一次試験の日程が記されていました。

教員採用試験にむけて早朝から(勤務時間前)、また放課後(会議等のあと)遅くまで受験勉強にピッチをかける講師の先生方。頭の下がる思いがいたします。

理由は簡単です。

仕事量はほぼ教諭と同じだからです。

中には、どう考えても教諭の先生以上の仕事をこなしている方もいるのです。

私は、講師の先生に平気でたくさんの仕事をまわしたり、普通ベテランの先生が取るべき仕事を若い先生にまわしたりしませんが、

また、自分がもともとできのよくない生徒でしたので、先生という人たちは「道徳」のかがみのような人たちにちがいないとずっと思っていましたが、

できるだけ仕事をとらないようにしている先生、仕事を後輩にさせて当たり前と考えている先生の多さに怒りを感じることが多々あります。

できればあの講師の先生を教諭にしてあげたい。さらにできることならば、あの教諭の先生には教育現場から去っていただきたい。

また、仕事の丁寧さ、授業のうまさ、すべてにおいて、我々ベテラン以上の講師の先生。

世の中は矛盾だらけです。

以前に残念ながらその年に採用されなかった先生が「面接官はうちの校長でした」と言われたとき、その校長にくってかかったことがありました。

「校長はK先生の仕事への姿勢や本校への貢献、目の当たりにしているじゃないですか!」

すると校長は「面接でKさんらしさが、まったく出てなかった」と返されました。

受験者みんなが試験については同じ条件であること、私自身が思い知らされました。

それでもKさんは黙々と、人の2倍、3倍と働いてくれました。

他府県の採用試験に合格されたとき、私は彼以上にうれしかった。それと同時にK先生に去られることにむなしさを感じました。

せめて講師の先生の業績を、試験結果に反映させるシステムにできないものか。

できれば年に3回(学期ごとに)受験のチャンスを用意することができないものか。

暑い夏、ベストを祈ります。

 

 

 

山を掛ける

 

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前回、内容が少々おめでたくなかったので、今回は、多少明るい話にできればと思います。

タイトルの「山を掛ける」です。

「山を張る」とも言います。

もともと「山師」からきているとも、言われています。

学生時代の一般教養のテスト、あるいは生徒のときの期末テストなど、山をかけたことがありますか。

私はありません。もともと勉強など、やる気なかったし、家も貧乏で大学などいけるはずなかった。

本当は高校だって難しかった。

父がかなり高齢で、収入が安定してなかったのです。

担任の先生や教科の先生のすすめで、そのころ「共通一次」と呼ばれていた試験を受けました。

1000点満点中600点ほど……、まずどの国公立もダメ。

そのような複雑な心境が不遜な態度に出てしまったのか、就職試験はすべてペケ。

担任の先生も、進路指導の先生も、打つべき手がなくヤキモキしていたことでしょう。

本人は「アルバイトでもして生きていくさ」ぐらいの気分で、のほほんとしていましたが、現在、教員をしている私、そのときの恩師の先生方のご心中、お察しいたします。

 3月も近づき、地元の3流大学の2次募集のあることがわかった。

「それ行け!」

ということで、願書だけは出しましたが、必ずしも合格するとはかぎらない。

国語と英語は偏差値的に大丈夫だろう。しかし、世界史は?

歴史物は本もよく読んでいましたが、教科としてはどうか未知数でした。

入試の2~3日前に再放送でアニメの「宝島」を見ました。シルバーが若山弦蔵、ジムは野沢雅子

そのあと、ふと、大航海時代のことを調べたくなり、好奇心ノリノリ(あの「宝島」は原作も活かしながら、すばらしい出来映えでした)の私は、学校の図書室で(インターネットなどありませんでした)百科事典をはじめ5~6冊、集中して読みまくりました。

本当は「宝島(原作)」はもっと後の時代背景です。

資料の読後感としては、「よし、オレは宝探しを自分の仕事(ライフワーク)にしよう」的な心境でした。

つまり、あまり何も考えていなかった。

入試当日。

英語も国語もできたのか、できなかったのかわかりません。

しかし、世界史の問題を見て、神を信じてしまいました。

半分は、大航海時代についての出題。

おまけに英国史がらみの問題では、ネルソンまで登場してきたりして。

もうドレイク様々、ネルソン様々、スチブンソン様々でございました。

結果は合格。

発表の帰り道で「どうしよう」とつぶやいている人たちが数人いました。

そして、そこから私の「学費との戦い」が始まったのです。

テーマにもどります。

テストで山を掛けたことがありますか。

十分にやりきった。どんな問題がきても大丈夫という人もいるでしょう。

でも時間のないときは、問題の中のいくつか、場合によっては、1/3~1/2と、分量や範囲で「山を掛ける科目があってもいいじゃないか!」と思っています。

あのとき、「宝島」を見ていなかったら、今の私はなかった。

これは事実です。

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合格、さまざまな形

 
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前回、「平兼盛壬生忠見の歌合わせ」の様子を記しました。

ご共感いただいた方から「星マーク」を3つも一度にいただき、驚きとともに感謝いたしております。

「歌合わせ」の例は、判官贔屓と言われる方もいるかもしれませんが、私はちがうと思います。

歴史上のライバル同士が覇を争うときには、権謀術数渦巻く「決戦」だけではなく、門地や財力、勢力がそのまま勝敗を決することが多かったでしょう。

言い方をかえるなら、100m走。

体の大きさ、筋力の性質財力などは、「レース」より前にある。

細かい判定は別として、誰が1位か決定するのは、人の気分や贔屓ではありません。

ドーピングのことなど悩ましい問題を現在では看過できませんが、勝負そのものは、たとえ憎い相手が勝とうとも、悔しくても、納得せざるをえない。

しばらくして、心を落ち着けてよく考えると、いつの間にか、その相手に尊敬の念さえわいてくる。

そのような事実は覆しようがありません。

でも、先に記しました「歌合わせ」の結果などは、どう考えてもおかしいとしか言いようがないのです(私は引き分けだと思っています)。

そして、そのような例は歴史をみても、そして自分自身のまわりを見ても、枚挙にいとまがないほどに、あるといえばあるのです。

試験の話をするのであれば、中国の科挙のことなど避けて通れませんが、よく知らない私だって、李白杜甫、蒲松齢のことなど、少しは知っています。

圧巻であったのかどうかは知りませんが、白居易や杜牧の公僕としての姿勢、私事への関わり方は、自分の仕事への態度をときには戒めてくれます。

また、私の身のまわりで起こった出来事。優秀な実習生。頼りにしていた講師の方の裏切り。自殺してしまった後輩。etc.。

そしてコネの話(これは、私が垣間見たことであり、私だけの認識なのかもしれませんが、教員採用試験にコネはありえると思います)。

お伝えしたいストーリーは、たくさんあるのですが、いざ、まとめようとすると、筆が進みません(指がキーボードををたたきません)。また、貧乏暇なしといいましょうか、多忙でもあります。

今回は、羅列的な記述だけで、しかも長くなってしまいましたが、最後に、池波正太郎さんが小説現代読者賞に選ばれたときの受賞の言を記させていただきます。

「読者に選ばれた賞であることが、何よりもうれしい」

蛇足になりますが、池波正太郎さんは、直木賞に何度も候補に上るも、ライバルに先を越され続けたご経験がおありなのです。

この言、かなりの重みがあると思いませんか。

百人一首のつづき



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上の句と下の句のマッチング、つづけます。

・今来むと言ひしばかりに長月の

            むべ山風を嵐といふらむ。

・吹くからに秋の草木のしおるれば

            わか身一つの秋にはあらねど

・山川に風のかけたるしがらみは

            静心なく花の散るらむ

・誰をかも知る人にせむ高砂

            花ぞ昔の香ににほひける

・白露に風の吹きしく秋の野は

            人の命の惜しくもあるかな

・忘らるる身をば思わず誓ひてし

            あまりてなどか人の恋しき

もうこのあたりで十分、食傷ぎみでしょう。

後ろから組み合わせていっても、愉快なのがありますが、それらについては、みなさんでお楽しみください。

それでは、百人一首のハイライト、40番、平兼盛と41番、壬生忠見の両歌で上の句と下の句を取り替えてみます。

村上天皇ご主催の歌合わせです。あなたは、判者、左大臣藤原実頼の役。

・忍ぶれど色にいでにけりわが恋は

            人しれずこそ思ひそめしか

・恋すてふわが名はまだき立ちにけり

            ものや思うふと人の問ふまで

いかがですか。両者ともすばらしいではないですか。

1000年以上後のぼんくら頭の私にだって、その美しさ、人の気もち、やさしさや、せつなさ、十分につたわってきます。

私のようなやつがれが、遊び心で歌をいじっても両歌のすばらしさは超一流であります。

どうして、あのとき、同点にしてあげることができなかったのか。私は、今でもこの40番と41番を読むときに涙が出てしまいます。

私は、忠見の歌の方が可憐で、太陽に対する月のようなけなげさを映し出し、人を恋するときのせつなさを心痛いほど感じさせていると思います。

ぜひ、私が今回やった「おふざけ」ではなく、両者の本物の歌を音読してみてください。

平成の世にすむ我々も、面接という不条理にあえて臨んでいかなければなりません。

いったい何が合格、不合格の基準になっているのか!

みなさんのご努力、紙一重などではけっしてありません。十分に合格しているはずなのです。

私自身は百人一首の歌合わせの場が大すきですし、平兼盛の歌も素晴らしいとは思います。でも、繰り返しますが、私なら「可憐な美しさ」で壬生忠見を選びます。

 

 

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百人一首の思い出


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実力テストの百人一首ですが、ご担当のY先生、生徒に解答用紙を配る間にも、込み上げる笑いが押さえきれないようでした。

Y先生のお話では、「迷作」のおかげで国語科の教員団はとても楽しませてもらったとのこと。

迷作者(我々のことです)の表情を見るだけで、歌のすばらしさがわかる。みたいなことをのたまわれたのでした。

遥か昔(40年ほど古)のことであり、資料は残っていませんが、つまり、百人一首の上の句と下の句を結び付けるテストの結果、以下のような解答が引き起こした出来事だったと思います。

仮に上の句と、下の句を前から1番上の句、2番下の句と順につないでいくと……

・わが庵は都のたつみしかぞすむ 

            わが身世にふるながめせしまに

・君がため春の野に出でて若菜つむ

            まつとし聞かば今帰り来む

・難波潟みじかき芦のふしの間も

            みをつくしても逢はむとぞ思ふ

このように、「なんとなく韻も踏んだよさそうな歌」ができあがります。枕詞や季語がどうなっているのかまではわかりません。

でも、いかがですか。おぼろげながら、意味もわかりそうでは、ありませんか。

逆に後ろから同じようにやってみると……

ももしきや古き軒端のしのぶにも

            世を思ふゆゑにもの思ふ身は

・来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに

            ふりゆくものはわが身なりけり

・おほけなくうき世の民におほふかな

            ふるさと寒く衣うつなり

こちらもなんとなく、意味がわかりそうな(合いそうな)。

このような「迷歌」を実力テストで我々高校生が珍解答してしまったのでした。

本物の作者に著作権でしかられそうですが、

例えば、上の句と下の句をランダムにペアに組み、パソコンでプリントアウトし、読み上げもランダムにするなどしたら、新しいゲームになるかもしれません。

「ちらし取り」よりも「源平合戦」でチームプレーするときに、おもしろい暗号が飛び交いそうです。

できれば、そんな条件で一度、競技の名人と対戦してみたいですね。

名人ほど「おてつき」してしまったりして。

記憶は人の行動や活動に影響しますから、素人の方が善戦することも、あるかもしれません。

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公務員試験指南。これでおわりか


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さて、公務員試験と教員採用試験の簡単な思い出話は終わったのですが、もうすぐ6月ですから、試験は目の前ですね。私がお伝えしたことは、月日のかかることですので、今すぐにお役に立つこととは申せません。

ただ音読の繰り返しの効果、写経の繰り返し(こちらの方は私は、あまりやってませんが)、必ず役に立つと思います。

特技や資格のための受験勉強のときなど、このブログでお伝えしたこと、また思い出してください。

ここで「完」とすると、名残惜しいので、私が学生として、社会人として、音読や写経から感じたことなど記したいと思います。

また、大学入試、大学院入試、公務員試験、教員採用試験のことなども、おりにふれ、続けてまいります。

音読なのですが、百人一首の音読のお話です。

高校のテキスト、大学受験用のサブテキスト、カラー豪華版などもあり、いいですねぇ。その場所に行きたくなる。空想の場所もあるかもしれない。行ったつもりでマップでさがしたりもして(便利な時代です)。

写真がなくても、田辺聖子さんの児童向けの、そして大人の教養向けの2冊、解説も含めて音読する。知らない単語や漢字、ひらがなことば(やまとことばかどうかはわからないのです)、使いたくなりますねえ。

余裕があったら論述式テストで使ってみたりして。ただし、キザではなくイキに使えるように。

「ここから当分の間、百人一首について論じていきます」などとは、私は専門でもないのでできません。

しかし、百人一首の思い出話はできます。

書簡は過去の人物との対話だとか、申します。

記録の伝承がコミュニケーションだけでなく、文明に与えた影響はすごいです。

だから「紀貫之さんとの思い出です」なんてやれば、あと100回もブログができることになりますが、そうではなく、私の高1のときの思い出をお話しします。

実力テストで百人一首の上の句と下の句をつなげる問題が出ました。

私は全滅でした。

カルタは遊んだことがありましたが、百人一首なんて、読むどころか、見たこともありませんでした。

ところが、このテスト、国語科の職員室を笑いの渦に巻き込むことになったのです。

私の場合(教員採用試験〔教職教養〕)


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さて教員採用試験についてです。ただ私は英語科ですし、各教科にはその教科なりの特色があります。英語科の方法が役立たないことも十分考えられます。

そこで今回は、教職教養について「私には役立った」ことをお伝えします。

公務員試験で「教養試験対策はしなかった。やり方がわからなかった」と申し上げましたが、その線でいくと「教職教養対策もやらなかった」になるわけですが……。

確かにやりませんでした。

しかし、方法ではなく、ルートといいますか、これは役立ったという進路があることを知りました。

それは、教育大系の大学院に行くことです。修士課程は2年間ですが、その間に講義やゼミを含め、教授法(指導法)、教育史、教育法規、人権教育、他国の教育、各心理学、各社会学、等々の情報のオンパレードです。

写経という昔からの真理の極め方がありますが、自分が受験する地域の教育大系の大学院は、地域的な情報も含め、私にとっては「音経」といいますか、お経そのものでした(「門前の小僧、習わぬ経を読み」)。

受験して手応えも感じました。

教員採用試験受験希望者すべての方に、必ずしもおすすめということではありませんが、こんなルートと経験も役立つかと思い、記しまた。

そして、今、私は百人一首の音読とプログラム言語の写経をしています。どちらもボケ防止に少しは役立っているようです。